ベンチャー

ベンチャーへの投資とかやっている部署にいる

 

そこで見るベンチャーの現実はとてもいい

 

上がっていく時価総額

ある程度もらえている給与

ガンガン上がる時価総額

バンバン使う販管費

メディアでちやほやされるCEO

金余りの投資界隈

 

もしかして自分より給料いいし、

一攫千金あるし、

経費結構使えるし、

失敗しても評価されるし、

すごい人ともいっぱい会えるし、

 

もしかして、超気持ちいいんじゃない?この業界

 

なんて思ったりもする。

 

 

そんな話を先輩にしたら、「じゃあ、お前もやってみたらええやん」とのこと。

 

せやねん

 

そこまでいくのがどれだけ難しいし、クソみたいに働いているだろうし、求められるスキルの幅も広いだろうし、そんなんわかってんねん。

 

でも、やってみたら面白いんやろな、と思う。

 

まぁそこまでホリックになれるようなものはあいにく持ち合わせてないんですが。

 

たぶん、僕は二の足を踏み続ける愚か者なんだけど、市場環境だけは(少なくとも今この瞬間においては)いいようだ。

 

 

自分は何者で、何をなし得たく、何にホリックになれるのか

 

こんな歳になっても、大学生みたいに、考え続けるんだなぁ。

 

そんなことを最近は思い続けています。

キャッシュレス社会

先日、kyashというアプリを友人に勧めた。

なんでもトライしてみるのは友人のいいところ。アプリをDLした。

ついでにその友人に支払う予定だったお金をkyashで渡した。

その後、逆にお金をもらう予定があり、kyashでもらった。しかし、足りない。

「クレジットカード登録したら残り払えるよ。」 そう、教えてあげた。

だが、残額はまだもらえていない。

クレジットカードの登録が怖いらしい。

 

少し前に、やっとこさiphonesuicaをいれた。

私は都営地下鉄ユーザーなので、定期がpasmoである。

2枚持つことが嫌でメトロのカードを作ったけど、都営地下鉄の定期とは一緒にできないということで結局は2枚持ちに。

それならsuicaでええやん、ということでsuicaをApplepayで導入した、という次第である。

財布を取り出す手間がない、というだけで、非常に便利である。

その便利さを伝えたく後輩に話をすると、なんとJRユーザーであり、suicaユーザーであるのに、iphoneを持っているのにApplepayにしていないと。

「だって、なんか怖いじゃないですか」

なるほど。しかし怖くないよ、と、魅力をたっぷり聴かせたところ、

今やその後輩は立派なApplepayユーザー。

「『あ、財布ない。席に取りにいかなきゃ。』という状況がないし考えなくてもいいのでとても楽です。」とのこと。

 

人間は未知のものは非常に怖がり、基本的に安定志向だ。

日頃使う定期券がsuica等の電子マネーに切り替わったことで初めてコンビニに端末が普及し、キャッシュレス社会に一歩近づいた。それによって一円や五円硬貨の発行総量はかなり減っているらしい。

インフラは正義である。

 

確かに未知のものは怖い。私も怖い。でも、意識的にそれは乗り越えようとしている。どれだけ最悪なことが起こったとしても、せいぜい数千円でしょ?クレジットカードが違法に使われても、保険適用で返ってくるし。

ということで、どんどんキャッシュレスが進んで欲しいと願ってやまない人の一人が私だ。

 

とりあえずsuicaでなんでも決済できるようにしたらええねん。

しかし、立ちはだかる壁は、電子マネー決済にかかる手数料。

 

手数料以上の効率化ができるところならまだしも、そうでないところや、売上高が大きいところにはキツイとのこと。

具体的には飲食店だ。

 

ランチに行ってもほぼ確実に現金支払いである。

 

先日越後湯沢に旅行に行ったのだが、越後湯沢駅内での店舗は、おみやげ屋さんであろうが飲食店であろうが、ちょっとしたコーヒーを売っている店舗だろうが全ての店舗でsuica決済が可能であった。これが非常に便利だった。ついつい使ってしまう。素晴らしい。まぁ、駅を出たらそうでもないのだが。

 

電子決済できない店舗は面倒やねん、という社会的圧力をかけ続けたい。

 

都内に住んでいるのだが、都内ではシェアサイクルが利用できる。地下鉄が通っておらず、バスでないと移動が面倒だったり、ちょっとした距離だったりすると、150円/30分(追加100円/30分)であり、地下鉄より安かったりするので、気軽に使える。

それもsuica対応だ。ピッてやればもう乗れる。便利。素晴らしい。もっと乗りたくなる。しかも電動自転車。スイスイ。

 

そういえば、最近、大学時代に所属していた団体で寄付を募っていた。銀行振込。うむ、古い。募っているのは数百円なのに振込手数料は数百円。アホかと。取りまとめしている友人にkyashを進めて送金したった。あと、polcaもやってもらった。個人間送金はまだインフラにはなれそうにもない。

 

閑話休題

 

家の帰り道にゲーセンがある。そこで、半年前くらいからトミカを取り扱うようになった。子供が喜ぶので、取れそうな、とったら楽しそうな(カニクレーンとか、除雪車とか)ものがあったらチャレンジしている。先日、単純に取れそうなだけのトミカがあった。しゃあねぇな、チャレンジするか。財布を開くと小銭がない。常日頃からそれを目指しているので幸運な状態ではあるが、この時に限っては「しまった」と思ったね。

1000円札を両替して1−2回チャレンジすると100円玉8−9枚が手元に残る。そんなことが許されようか?(反語)

全く、ゲーセンこそがキャッシュレス化の恩恵を受けやすい業態だというのに、いつまでたってもキャッシュレス化しねーな。

 

そんなことを思って調べてみたら違った。

 

セガコナミタイトーといったところが運営している店舗の中には電子マネー対応のゲーセンがあるらしい。

とはいえ、ゲーセンはハコものかつ初期投資が大きく、固定資産を減価償却していく業態。一度導入した機体は減価償却が完了するまでは置いておきたいし、なんならその後も使い続けてROIを高めたい。

となると、必然的に前からあるゲーセンは導入している可能性は低く、だからこそあまり見ないのであろう。過渡期の序盤ということか。

 

 

確実にキャッシュレス化の波はきているし、対応している店舗や業態も増えてきた。電子マネーの争奪戦は、ひとまずはsuicaの勝ちなのだろう。インフラ万歳。

fintechという言葉が出てきて久しいが、もてはやされていた頃に出てきた企業が、一般導入への舵を切り始めたのが最近ということなのかもしれない。

 

そのキャッシュレス社会に向けて抗うのは人間の「なんだか未知で怖い」という感覚。それはとてつもなく大事な感覚であり、ともすると私のような人間からは理解できないような感覚ではあるのだが、それゆえに見逃しやすい。

 

大多数の人間は普通に持っている感覚だということを忘れてはいけない。気にしなくていいのは、イノベーターとアーリーアダプターのみで、アーリーマジョリティですら持っている普通の感覚なのだ。

 

流行りを取り入れる感覚と同時に、流行りを怖がる感覚も遠目で意識しないければならない。

 

なんでもいいからキャッシュレス化は早くしてほしいんだけどね。

SNSで突撃すること

今はSNS隆盛の時代

 

かつては2ちゃんねるを中心に匿名が普通であった、ここ日本においても実名を出したコミュニケーションが非常に普通なものになっている

 

例えばFacebook。実名である。

 

だが、ここで言いたい実名というのは、Facebookではない。(正確にはFacebookでも可能だが)

 

TwitterやNewsPicksやSHOWROOMやそういったサービスでのことである。

もう少しいうと、2ちゃんねるにおける「コテハン固定ハンドルネーム)」も近いのかもしれない

 

私は実名を出すことはそんなに躊躇っていない。

ただ、実名を持って、知らない誰かと深いコミュニケーションを取るタイミングになると躊躇してしまう。

 

相手はどこの誰ともしれない人だ。もしかしたら自分に敵意を持っているかもしれない。自分の知られたくないことを嗅ぎまわって拡散されるかもしれない。自分の知っている人が危害を加えてくるかもしれない。そういう人とやりあっている様子自体が実生活に影響を及ぼすのかもしれない。

 

思いつくだけで、これだけのやらない理由がある。

 

だが、逆にメリットもたくさんある。

 

普通の生活では出会えない著名人とコミュニケーションを取れるかもしれない。著名人じゃなくても普段なら絶対に会わない人と楽しいひと時を過ごせるかもしれない。ひょっとするとリアルで会うことになるかもしれない。それがきっかけで自分の人生に大きな影響が及ぶかもしれない。

 

そんなのは、わかってる。

 

どこかで聞いた話だが、危機というのは、危ういからチャンスがあるんだ、という。

リスクがあるからリターンがある。

リスクが大きいのであればリターンも大きい。

 

自分はリスク最小化したがっているのだろうか?

 

逆にリターンを追い求める必要はないのだろうか。

 

 

そんなことを思ってしまう自分にとって、ブログに書く、ということでさえも勇気が必要なことだった。

 

ブログは匿名要素が強いとはいえ、全公開になっている情報で、自分を辿ろうと思えば辿れるかもしれない。そこに自分が思っていることを書いてしまっていいのだろうか、それによって自分の知っている人に対して負の影響を及ぼしたりしないだろうか。

 

そんなことを思ってしまうこともある。

 

かつて中学生の頃にネットゲームをしていた。今やネットゲームは華麗なグラフィックで音声でやりとりできるものであるが、当時はチャットに入り浸って、コテハンで活動するもの。

 

そこで、普段では知り合うことのできない人にも知り合えたし、年齢がかなり上の人たちとも年齢抜きに話すことができた。それは楽しいひと時だった。

 

相手が一般人だとわかりきっていれば、問題ない。

ただ、話す相手が著名人だったりすると、返す刀で刺される可能性もある。そんなことを考えてしまう。

 

 

わかっている。

自分には恐れるほどの知名度があるわけではなく、著名人よりもよっぽどレピュテーションリスクが低い。そんな人が何をビビっているのか。

話したい人に話し、思っていることを思っていると言い、伝えたいことは大手を振って伝える。

 

そんな世の中がいいに決まっている。

 

それが実現できるツールが溢れているのだ。使わない方が損ではないだろうか?

 

 

そんなことはわかっている。

 

 

ただ、気持ちが整理しきれていないんだ。

 

でも、遠くない未来に、踏ん切りつけて、色々やってみたい。

やってみたいと思うなら、やってみたらいいんだ。

ブログだって、書けているじゃないか。

 

そんなことを思う、平日の夜。

世界から言語がなくなる日

最近は、音声翻訳もできる便利な時代になった。

 

skypeでの同時通訳ができるなんていう話があったり、

google翻訳で当たり前に音声認識+翻訳ができたり、

日本でいうとログバーという会社がオフライン翻訳も対応できる端末「ili」を出していたり、

UDトークというアプリでリアルタイムで英語翻訳してくれていたり。

 

本当の意味での翻訳、つまり意訳が実現するのはまだまだ先だと考えられているが、

直接的な翻訳程度であれば、思いのほか早く進歩しているようだ。

 

海外に行った時やインバウンドで対応する際の大きな課題はやはり言葉。

何を言っているかわからないことは恐怖である。

 

それが払拭されていこうとしているのである。大変喜ばしいことである。

 

そして、そんな世界がどんどんと進行していった結果、

言語というのは意味をなさなくなるだろう。

 

ふと、思った。

 

その時、人々が話す言語はいったいなんなのだろうか?

 

例えば英語だろうか?

 

一番ありえそうなシナリオである。

今は地球史的にいうとアメリカ時代と言っても差し支えがないくらいにアメリカの力は強く、地球で最も話されている言葉といえば英語だろう。

 

いやいや、やはり人工的に圧倒的な量を持つ中国語ですよ。

そんな話もあるかもしれない。

 

そこで考えてみたい。

意訳ができる手前の世界。意訳はできないが、翻訳であれば、ある程度の言語はかなりスムーズに翻訳できるようになった世界。

 

例えば全ての言語を英語に翻訳する世界になったとしよう。

そのときに何が起こるか。

 

英語ネイティブの人は全く何を考えるわけでもなく、自国の言葉を喋り続けるので、最もスラングが多く、最も機械を慮らない状態になるだろう。

 

そのとき、

  1. 日本語ネイティブと英語ネイティブが英語で喋るとき
  2. 日本語ネイティブと中国語ネイティブが英語で喋り合うとき

どちらが会話しやすいだろうか。

想像するに、それは後者だろう。

 

このとき、逆に英語ネイティブであることが非アドバンテージになりうる。

 

これは英語に翻訳するときに限らず、ネイティブが存在する言語に翻訳する限り起こり続ける問題だ。

 

ということは最終的にどうなるか。

 

「誰のものでもない言語」に翻訳して会話することが当たり前になるのではないだろうか。

 

かつて、1800年代後半にザメンホフによって作られた人工言語エスペラント」というものがある。

エスペラント - Wikipedia

 

これはヨーロッパ系の言語を元にして人工的に作られた言語で、発音や文法に規則性がある。普遍語として広めていくべく活動していき、最も成功した人工言語の1つではあるが、残念ながらその理想には至っていない。

 

しかし、上記の通り、自動翻訳が進んでいった世界では、中継言語の存在が均質なコミュニケーションの実現には重要であると想定される。

 

かつてザメンホフが理想としていた人類共通言語としての人工言語は、機械化が進んでいき言語の垣根が取り払われていった先に、奇しくも機械専用の言語として存在する未来があるのかもしれない。

 

そんなことを思いました。

株式投資の考え方を振り返る

株式投資を初めて4年くらい経ち、慣れてきたので、どう考えているかを整理しつつ、これからどうしようかを考えていきたい

 

振り返ってみると2012年に証券口座を開いて、確認できる限りだと2015年に初めて入金している。え、3年も放置してたの・・・

 

これまでの株式の買い方を最初期、次期、現在で区分する

 

◾️最初期

株はリスクが高いということを前提に実施。

余剰資金のみを入れる。50万円〜100万円くらいか

 

IT系の企業、中でも未来を作る系の企業に興味があったので、そういう企業の株式を買う。

いわゆる、AI、Iotといったテーマ株。東証マザーズが主戦場。

 

結果、ぼちぼち+10万円くらい?

株を買うことによって、その業界のニュースに敏感になる、ということが利益でした。 

 

◾️次期

1年目が10万円程度しか利益がなかったにも関わらず、馬鹿正直に確定申告をしてしまい、徴税される。20万円以下の利益であれば申告義務はないというのに。

 

かつ、まかり間違って特定口座の源泉徴収されるやり方に口座を変更してしまった。

一度株式を売った後は、源泉徴収の有無を1年間は変えられない。

 

これでは20万円以下の利益だったとしても、売却するたびに税金が取られている以上、確定申告で取り返すように動かねばならない。それは面倒臭い。

 

ということで、年間20万円以上の利益を出すことを目標とする。

だいたい月間2万円くらい。まぁまぁある。

 

100万円ほど入れて10万円の利益、つまり元本の10%の利益を出すことはできたので、20万円にするには同じやり方であれば200万円入れる必要がある。

 

ということで、

・銀行口座に入っているだけでのお金は証券口座にガンガン移す(といってもボーナスの金額を入れることになるのだが)

・上下が激しいマザーズのテーマ株を買う方針は変えず、2万円の利益が出たらすぐに手放す

という方針で購入

 

しかし、地味。なんというか地味。

これじゃつまんねぇなという気持ちになっていた時に、これまでスルーしていた上場ニュースでピンとくる。

そうか、伸びると思っている企業の上場直後は未来の中で最低値なんだから、上場直後の株式を変えばいいんだ・・・!

ということで、

・一部資金は上場直後の株式を買って保管(10万円以上の利益が出るタイミングで売却を検討)

というルールを追加。

 

これがあたり。上場直後で値段が安定していないときに買ったり売ったりして、ある程度の利益を連続して出せるようになる。

 

なんだ、株って簡単やん

 

そんなことを思っていたら、持っていた株価がだだ下がり。どうせ上がるだろうと思っていたらかなりの含み損のまま半年近く横ばいに。。

 

この半年で12万円を稼がねばならなかったが稼げていない。

こんな塩漬けは手放してその金額を他に使ったらいいのでは・・・?

 

そんなことを思って損切り

これで俺もいっぱしの株式やってる人だなぁ。

 

と、悦に入って翌週、株価は超回復。また下がるだろうと思ったら、さらに上がってもう掴む気が起きないレベルに。。

結果、かなり上がった利益は損切りによって、ちょっとした利益に収まりましたとさ。

運用益は15%ほど。

 

〜教訓〜

信じた株は、辛抱強く信じるべし

 

◾️最近

上場直後株の美味しさを味わってしまい、二匹目のドジョウを探す。しかし、興味のない分野の会社の株はやはり買う気にはなれない。そんな時に目をした上場予定株式の「関連株」という言葉。

 

上場するということは、これまで価値が低かった会社の株式価値が上がるということ。未上場時より上場時の方が普通は時価総額が相当高い。また、それによって得られる新しく資金調達できるお金を用いることで、ビジネスもスケールしやすい。

 

そんな上場直前会社に出資している上場企業、もしくは上場直前会社と深い取引がある上場企業は、未上場企業が上場するタイミングに合わせて上場しやすい。

この事実を用いるのが「関連株」を買うテクニックである。

 

でも、そんな都合のいい情報をどうやったら得られるのん?と思うだろう。「上場という噂」みたいな記事は日経をはじめいろんなところで出ているし、かつ、親切にもまとめてくださっている人たちは多いので簡単に知れる。ありがたく使わせていただこう。

 

ということで、新しくチャレンジを追加

・上場目前と目されている企業の「関連株」を買い、株価が上昇したタイミングで売る(目安は利益で10万円以上)

 

これを試してみると早速うまくいった。株価1,000円くらいで100株買った会社の株価が、時を経るごとに成長していき、2,000円ほどに。これだけで10万円の利益だ。

 

ウハウハしながら売る。すると、まだまだ上昇するよ株価は。

そこで教訓を思い出す。「信じた株はもっと信じろ」

 

そうだそうだよ、と。再度購入。今回は100株どころじゃないから利益もでかいぜ。まだまだ登るよ株価は。

 

そんな時に訪れるニュース。

「上場延期」

 

バベルの塔はいつか倒れる。高く高く積み上げた塔ほど、崩れるのは一瞬です。

でかい利益だとウハついていた剣は諸刃なのです。

みるみる膨れ上がる含み損。

 

「上場延期なだけだ。延期ということはいつかは上場するんだ。」

 

そんな気持ちだけで持っているこの株はまさに塩漬け。

いつまでも、待ってます。(まだ持ってる)

 

〜教訓〜

信じた株は、他の株よりは信じていいんだけど、信じすぎないようにね。

 

運用益は20%超くらい。

 

 

◾️直近

これまでにいろんなことを学べました。

やっていることは変わらず+稀に信用取引レバレッジかける感じ。

・テーマ株を中心に買う。あまり思い入れのない株は2万円の利益を1つの目安として売買

・上場直後の株式を買う(人気株は初値がつかず株価が上がり続けて急転直下になるので、PER等見ながら買うタイミングは要判断。特にAI系)

・上場予定企業の関連銘柄を買う

・これは絶対いく、というものは信用取引レバレッジをかける。でも諸刃なので売る判断は現物より早めに

 

すでに運用益30%いけているので、うまくいけばもっといけるだろう。

レバレッジかけたら運用益は簡単にいく。でも諸刃。

油断は禁物です。含み損いっぱい持ってる。

 

ということで、今後チャレンジしたいこと

日本株の元気がいつまでかわからないから、海外株を買えるようにする。国際情勢に気を配る。

・仮想通貨(持ってるけど)等の分散投資を進める

・出た利益のうちの一部は、ケチケチせずにちゃんと使う(親とか家族とか友人とか)。スタートトゥデイの前澤さんも使えと言ってたしね。いや、彼がいうレベルでは使わんけど。

 

他に手を出したら、また振り返りたいと思う。

 

諸君、私はカレーが好きだ

私はカレーが大好きだ。

1週間毎日カレーでも別に何とも思わない。

 

いや、カレーでなくても、毎日とんかつでも唐揚げでも刺身でも大丈夫なんだけど。

 

ランチでよく外に行くが、刺激が欲しくてついカレーを選びがちである。

そう、気づいたらカレーが好きになっていたようだ。

 

そんな私が恐れおののくカレー好きの先輩は、毎日昼飯はカレーを食べている。

しかも、毎日同じ店だ。

 

正確には火曜日が定休日なのでその日だけ別のカレー屋さんに赴く。

 

そんな先輩に敬意を評して、カレーについて最近知ったことを書きたい。

 

まず、一口にカレーといっても、スープカレーから欧風カレーまで多岐にわたるが、インディアンカレーの話だ。なお、アメリカンインディアンではない。

インディアンカレーは、北インド系統と南インド系統に分かれる。

 

北インド系統が、ターリー屋に代表されるような、ナンが出てくるいわゆるカレーである。日本でもっとも多いインドカレーである。

北インドと言えば、インド最大の都市であるデリーが存在しているところで、内陸の方にある。だからなのか、牛乳やバター、カシューナッツを使った、バターチキンカレーのような濃厚でドロドロしたカレーが主流である。

 

一方で、南インドケララやハイデラバードといった都市があり、南にあるだけあって暑い。なので、さらっとして辛みが効いたカレーが多い。しかも南側なので海に面しているため、シーフード系のカレーも多い。

 

さて、先日その先輩と共にナンディニというカレー屋さんにいった。

ここが南インド系のカレー屋さんであり、ここで食べたカレーが非常に美味しかった。

 

食べたカレーは2種類。

1つ目が、チキンハイデラバード

ハイデラバードはインドの中でも「辛い」カレーがあるとして有名とのこと。

中国でいう四川のようなものか。

チキンとトマトと玉ねぎという基本的な存在でありながら、容赦ない辛みと玉ねぎの甘みがマッチして、非常に美味しかった。

 

2つ目が、メカジキのカレー(メニュー名忘れた)

そのまんま、メカジキが入っているシーフード系のカレー。単品のメニューでメカジキのフライとかあったので、南インドを代表する魚なのだろうか。

これがまた美味い。魚が持っているダシが効いて、さらっとした辛さに旨味が凝縮されていて、ちょっと食べたことがないレベル。非常に美味しかったパート2。

 

無論カレーだけではなく、ビリヤニやドーサ、タンドリーチキンといったものも美味しかったのだが、やはりカレー。食べたくなっただろうか。

 

そんなカレー、食べるたびに「こんな味が家で作れないかなぁ」と思わないだろうか。私は思う。むしろ家で再現できないからこそ飽きもせずにカレーを食べにいっているのではないだろうか(件の先輩ほどではないが)と思うほどである。

 

そんな秘密にさっきとは別の会社の先輩が迫っていた。

 

その先輩は、カレーの秘密に迫りたい、という話を何度か交わしていた先輩なのだが、

その先輩が毎週土日に青山の国連大学前でやっているファーマーズマーケットというものに行ったらしい。

(ちなみに半年前くらいに初めて「国連大学」という名称を聞き、「また日本大学見たいなテキトーな名前つけよって」と思いながら調べたら本当に国連が関わっていてびっくりした)

 

そこでスパイスを出店している人がいたので、その先輩がカレーの秘密を聞いてみた。

 

すると、曰く、

・スパイスを何十種類も入れるとスパイスが喧嘩するので、数種類しか基本的には入れない

・スパイスで味は出ないので、美味しさの秘密はスパイスではない

・美味しさの秘密は、ナッツと、塩である

 

とのこと。

 

ナッツと、塩。なるほど。

 

まず、ナッツ。言われてみればなるほど。ナッツをペースト状にしてカレーに混ぜたらめちゃくちゃコクが出そう。確かにカレーに入れるといいと言われているチャツネは豆やナッツが入っている。

 

次に塩。曰く、ヒマラヤで取れる岩塩は、ヒマラヤの溶岩が溶けているため、硫黄その他ミネラルが溶けている。それが味わいを出しているのだと。

それはあれですね、日本の温泉を煮沸したら作れますね、と思って調べてら長野県で山塩として押してるみたい。

不思議な山の恵「山塩」 - 長野県大鹿村・湯元 鹿塩温泉 山塩館

草津のような硫黄くさいところで真価を発揮できると思うんやけどな、ちょっと調べてみよう。

 

閑話休題

 

ということで、数種類のスパイス・ナッツ・岩塩を揃えればできるそうな。

ほんまかいなと思うが、感覚的には要素が揃ってきている感じがする。

市販のルーの調合割合とかも参考にしながらスパイスを選んで調理すれば、もしかしたらあの味を家で再現できるかも!?

 

うん、やってみたい。年内にチャンレジしよう。

平日と休日

まず、平日について考える。

平日というと、大体が仕事をしている日だ。

 

ところで、昨年、久しぶりに大きな異動をした。

 

これまではデジタル広告だったのに一転して投資部門。

いくらデジタル系の会社を取り扱うことになったとしても、畑違いも甚だしい。

 

久しぶりに「何もできない自分」というものに向かい合うこととなった。

 

「何もできない」時に、どういう行動をとって「何かできる」まで成長するのか。

「教えてもらう」のはそうなのだが、教えてもらうことで一体何を得ようとしているのだろうか。

 

  • 既知のものに当てはめようとする

今、自分が新しく聞いていること見ていることは、自分がこれまでに経験したことを使えないだろうか?とまずは考える。

例えば契約書を読み込む時に「あーなるほど、ある条項で関数を定義して、if文に応じて関数を呼び出しているから、これはプログラミングだな」と思うようなものである。

 

  • 新しい枠組みを構築しようとする

全く新しい経験を積んでいくということは、新しい関数を作り上げ、その関数を呼び出すためのifとthenを新しく構築していくということだ。

今やっている作業を次回行う時に、そのまま進められるところと進められないところを定義し組み直していく、そういう作業をしている。

 

これらは何をやっているかというと、平準化しようとしているのだ。

できるだけ、脳力を使わずに意思決定をしようとしているのだ。

 

例えばとんでもなく混みいった案件があったとしよう、それを上長に説明して承認を得ようとしようとする時にどうするか。

 

「これは構造自体は至って普通の案件なのです。ただ、この点だけちょっと違います。その結果難しく見えるだけです。それはですね・・・」

 

こんな話し方をするのではないか。

「あー、そういう話ね」という枠組みを提示してあげることで上長の脳力をできるだけ使わせないようにしているのだ。

 

 

何が言いたいかというと、できるだけ再現性を高くするということが仕事においては非常に重要である、ということだ。

 

 

 

一方、休日を考えてみよう。

 

私はまぁまぁ旅行は好きだ。

旅行で何をするかというのは非常に重要である。

ここでの判断軸は何だろうか。

 

  • そこの場所でしか体験できないこと
  • その時でしか体験できないこと
  • そのメンバーでしか体験できないこと
  • 過去に経験したことがないこと

こういったことではないだろうか。

 

それは例えば「昼飯をどうしよう?」という問題一つとっても

  • その場所の名産を使っていて
  • その時期特有の食材または調理法で
  • そのメンバーが満足できるような空間で(おしゃれなとか広いとか安いとか)
  • 初めて食べるもの

であれば最高ではないか。

 

 

つまり、仕事とは真逆で、できるだけ再現性が低いようにすることが非常に重要だ、ということだ。

 

 

 

平日は再現性を高めるように努力し、休日は再現性を限りなく低くするように努力する、それが、QOLを上げるための秘訣なのではないだろうか。

 

そんなことを思いました。