SNSで突撃すること
今はSNS隆盛の時代
かつては2ちゃんねるを中心に匿名が普通であった、ここ日本においても実名を出したコミュニケーションが非常に普通なものになっている
例えばFacebook。実名である。
だが、ここで言いたい実名というのは、Facebookではない。(正確にはFacebookでも可能だが)
TwitterやNewsPicksやSHOWROOMやそういったサービスでのことである。
もう少しいうと、2ちゃんねるにおける「コテハン(固定ハンドルネーム)」も近いのかもしれない
私は実名を出すことはそんなに躊躇っていない。
ただ、実名を持って、知らない誰かと深いコミュニケーションを取るタイミングになると躊躇してしまう。
相手はどこの誰ともしれない人だ。もしかしたら自分に敵意を持っているかもしれない。自分の知られたくないことを嗅ぎまわって拡散されるかもしれない。自分の知っている人が危害を加えてくるかもしれない。そういう人とやりあっている様子自体が実生活に影響を及ぼすのかもしれない。
思いつくだけで、これだけのやらない理由がある。
だが、逆にメリットもたくさんある。
普通の生活では出会えない著名人とコミュニケーションを取れるかもしれない。著名人じゃなくても普段なら絶対に会わない人と楽しいひと時を過ごせるかもしれない。ひょっとするとリアルで会うことになるかもしれない。それがきっかけで自分の人生に大きな影響が及ぶかもしれない。
そんなのは、わかってる。
どこかで聞いた話だが、危機というのは、危ういからチャンスがあるんだ、という。
リスクがあるからリターンがある。
リスクが大きいのであればリターンも大きい。
自分はリスク最小化したがっているのだろうか?
逆にリターンを追い求める必要はないのだろうか。
そんなことを思ってしまう自分にとって、ブログに書く、ということでさえも勇気が必要なことだった。
ブログは匿名要素が強いとはいえ、全公開になっている情報で、自分を辿ろうと思えば辿れるかもしれない。そこに自分が思っていることを書いてしまっていいのだろうか、それによって自分の知っている人に対して負の影響を及ぼしたりしないだろうか。
そんなことを思ってしまうこともある。
かつて中学生の頃にネットゲームをしていた。今やネットゲームは華麗なグラフィックで音声でやりとりできるものであるが、当時はチャットに入り浸って、コテハンで活動するもの。
そこで、普段では知り合うことのできない人にも知り合えたし、年齢がかなり上の人たちとも年齢抜きに話すことができた。それは楽しいひと時だった。
相手が一般人だとわかりきっていれば、問題ない。
ただ、話す相手が著名人だったりすると、返す刀で刺される可能性もある。そんなことを考えてしまう。
わかっている。
自分には恐れるほどの知名度があるわけではなく、著名人よりもよっぽどレピュテーションリスクが低い。そんな人が何をビビっているのか。
話したい人に話し、思っていることを思っていると言い、伝えたいことは大手を振って伝える。
そんな世の中がいいに決まっている。
それが実現できるツールが溢れているのだ。使わない方が損ではないだろうか?
そんなことはわかっている。
ただ、気持ちが整理しきれていないんだ。
でも、遠くない未来に、踏ん切りつけて、色々やってみたい。
やってみたいと思うなら、やってみたらいいんだ。
ブログだって、書けているじゃないか。
そんなことを思う、平日の夜。