Tik Tokを見た感想

若い人に大流行りという触れ込みで、最近流行っているのがTik Tokだ。

中国初のスタートアップが開発したアプリで、今や世界的にかなりのユーザー数を誇る。スマホで撮って編集して投稿するという一連の動作にかなりこだわってUI開発した結果若年層に爆発的に受け入れられるようになったらしい。

結構流行ってきていて、女子高生といえばmixchannelという時代もあったけど、mixchannelはもうやばいらしい。

 

日本にも照準を合わせて最近はTVCMも流し始めた。

 

広告に当たったことがある人は少なくないだろう。

かくいう私はめちゃくちゃTik Tokの広告に当たる。主にTwitterで。

 

広告の雰囲気自体は「omiai」や「dine」のような出会い系アプリに近い雰囲気もありつつ、「17live」のような可愛い子が見れるよというような要素もありつつ、Tik Tokでの実際の投稿らしき動画が流れる。

 

面白いのは広告に当たるたびに動画の内容が違うことだ。

何種類用意しているの?と不思議に思うほどクリエーティブを用意している。しかも悉く可愛い。うーん、いいねぇ。

 

ということで、なんだか広告を見るだけで満足できるので、しっかりと動画を最初から最後まで見ている。このような行動は広告用語でエンゲージメントというのだが、私はかなりエンゲージメント率に寄与しているだろう。

 

職業柄(だけではなく信条でもあるのだが)新しいものは取り入れていきたい・時代の流れを把握したい派なので、いい加減ダウンロードしてみようと思ってダウンロードしてみた。

 

するとまぁ、なんと、よくできている。

音楽に合わせて動画を撮って投稿するということがメインで、どうやら流行りの音源と、それに合わせた定番の振り付けやモノマネなどがあるようだ。

しばらく見ていると何パターンかをいろんな人がやっているのだなということがわかる。

 

しかも、やっている子が悉く可愛い。いや、正確には可愛いだけではないキャラクタで押している人ももちろんいるのだが、全般的な雰囲気として可愛い。

 

誰かが「Tik Tokは踊ることを理由に"盛れる"アプリで、snowだともはやあざといというニーズに対応している」と言ってて、確かにそうだなというくらいには盛れている可愛さ。

「美脚スタンプ」というのがあるらしいのだが、モデルばりに足が細い子が出てくるけど、そういう効果のようだ。

 

閑話休題

 

可愛いだけじゃなくて、その子が踊っている、可愛い。あ、変わってない。

必ず音源があるのも良い。

なんだか知らないけど、いつまでも見ていられる。一本当たりが10秒程度だったりするので、次々に移り変わって、次々に色々な曲で色々な人が動いていてたまにクスッとしたり、たまに可愛いやーんってなったり、頭カラッポで夢詰め込める感じ。

 

こんなにも大勢の人が踊ったりなんだりしている、という状況自体がまず驚きだ。

しかもほとんどが中高生。

思春期で他の人の視線を気にしがちで恥ずかしがり屋の謎な期間を過ごしているはずの彼らが楽しげに投稿している。

 

日本人は発信力が弱いというけれども、気軽に発信できるこんなツールがあるというのはやはりいいことだ。投稿しているのはクラスのヒエラルキーで言う所のtop数パーセントの自分に自信がある人ではあるのだとは思うが、それでもそういう人たちが発信すること自体が日本を変えている気がする。中国の会社だけど。

 

別にデータ抜かれたりするわけでもないし、スーパー黎明期なこのアプリ、一度見てみると面白いかもしれない。

 

そんな感じで。

勉強は最高の贅沢である

と、自分に言い聞かせて英語を勉強している。

 

英語が僕の中で大きな課題だ。かれこれ意識し始めて勉強し始めて3年。

「自分の実力から目をそむけない」ということをモットーにできるだけTOEICを受けた。

 

結果を見て暗澹たる思いでちょこまかと勉強をし、TOEICを受ける。

 

そんなことを繰り返して3年である。

 

最初よりはもちろん伸びた。

500点くらいでショックを受けていた頃と比べると上がっていて、650-700点あたりをうろちょろしてる。

無論、それは成果だ。

 

良さそうなアプリには手を出した。無料だけじゃなくて有料アプリも手を出した。

良さそうな参考書も買った。

良さそうなWebも見た。

オンライン英会話だって手を出したし、英語字幕付きの映画を見たいからDVDも買った。

 

しかし、ここ1年くらい変化がない。

 

英語は筋トレだとよく言われる。

日々の鍛錬があって始めて成果が出るもので、一朝一夕には成果は出ないと。

 

その言葉を胸にちょこまかと勉強してきた。

 

通勤時間(8分だけどね)にアプリを開き、(退勤時間はビジネス本)

トイレで踏ん張りながらアプリを開き、

帰り道に歩きながらアプリを開き、

休日も30分くらいはアプリを開き、

たまに参考書もやったり。

 

いや、全然伸びない。

かといってめっちゃ勉強する気にならない。

 

嗚呼。

 

 

なんて言ってるうちに、このままじゃダメだと先週に思い直していた。

そして、偶然動画を見かけて気持ちを改めた。動画主はこのサイトを運営している人である。

Atsueigo.com|英語でグローバルを切り拓く

 

色々とあるが、メッセージは一つだと思っている。

曰く、「ちゃんと勉強しろ」。以上である。

 

1日8時間勉強しろとか言ってる。

 

 

いや、そうだよね、と。

いくら毎日でも1日30分勉強してるだけじゃTOEIC800点は取れませんわ。

質も高いとは言えない。

 

そうだよね、アプリですぐ忘れる単語覚えるだけで点数上がりませんわ。

 

そうだよね、筋トレは負荷をかけなきゃいけないんだから、無理ない範囲でやってるだけじゃダメだよね。

 

ということで思い直した。

1日累計で最低2時間、目標3時間。

 

文法本をちゃんとやるよ。シャドーイングもやるよ。できたら英作文もやるよ。

studyplusでちょっとした勉強時間も測るようにして、定量的に把握するよ。

 

そんなこんなでやってみた。

 

勉強始めて30分くらいでめっちゃ苦しくなる。

 

ああ、もうやめたい。ゲームやりたい。Oculus Goやりたい。英語やっててなんか意味あるんやったっけ。ボケーっとしたい。

 

それを乗り越えて続けていると、そのうち快感になってきたりもする。

 

勉強は簡単に達成感を感じられるいいゲームな気がしてきた。

 

勉強っていうからなんか辛いし面倒だと思ってたけど、

突き詰めると趣味みたいなもんで、勉強できるって贅沢だと思ってきた。

 

じゃあ同じ勉強なんだから、と、英語の勉強やめて他の勉強するのは簡単だけど、

こんなに長い間課題だと思い続けているものは、今後も課題だと思うに違いないのだから、

さっさとある程度のレベルに達して、次の段階に進まなければいけない。

他のことやるにしても英語の文献に当たれるようになるのだったら、英語をやる意味は断然ある。

英語をやることで、他の勉強がより促進されるのだ。ゲームだってworld wideに楽しめた方がいいに決まっている。poker VRで話せないの悔しくないですか?

これは駒を進めているわけではないかもしれないが装備をよくしているのだ。

 

そんなこんなを言い聞かせながら勉強している。

 

7/30から記録をつけ始めていて、8日間で21時間半。

2時間は超えてるけど3時間は行ってない。

 

そしてこれがどこまで続けられるだろうか。

僕は3日坊主ではないが1ヶ月坊主くらいである。

 

友人と今年中に出るTOEICの点数で勝負しているのもあるし、今年いっぱいはまじでちょっと頑張る。

 

やるよ。

好きなことで生きていくというけど、好きなことってなんだ

大学の先輩がFacebookでシェアしていた動画を見て、思ったことをまとめたほうがいいような気がした。

 

見たものはこれ。

 

www.youtube.com

 

このDJ社長は名前すら知らなかったけど、たまにtwitterで動画が流れてきているのを見たことが何回かある。

「なかなかいいこと言う(社会派な?)Youtuberだなー」と思っていた。

 

いや、彼らはYoutuberじゃなかったんだね?DJだったのか。知らなかった。

 

「社長になる」と言って高校卒業後1年半で社長になって、成功したり失敗したりして、今、DJやっている人。

現在大成功している人というわけではなく、もがいている人の言葉でズシッときた。

自分の人生生きろよ、という話。

 

最近、かなり思う。

やりたいことって何だろうか。空いた時間に自分は何をすべきなんだろうか。

かれこれ何年も何年も思っている。

 

会社の仕事は面白いほうだ。給料も悪くない。

でも、それがこれから何年も続けていく理由になるか?

 

何年も何年もただただ働く。それは本当にしょうもない。

 

自分はいったい何になりたいのか。どうしたいのか。何者なのか。 

ひとかどの人間になりたいのか。何か影響を及したいのか。

 

テーマを決めてつっきったらすごくいいのかもしれないが、そのテーマを決める理由はあるのか。そこに追いつくためにはめちゃくちゃ大変だけど、そのめちゃくちゃ大変を受け入れられるほどに本当にやりたいのか?

 

なんて言うか、もう、ぐちゃぐちゃとなる。

 

 

大学の時にやっていたサークルで自分は人生観が変わったと思っている。 

そう言うことをやりたいな、と思って今の会社にきたはずだ。

  

大学・大学院は情報系で研究開発をしていた。

今この瞬間をもっと未来感がある世界にできればと思った。

それを今の会社でやりたいと思った。(そういえば、できていないな。)

 

自分がやりたいことは、

・誰かの価値観を変えるような影響力があること

・未来を早めること

 なのか?

 

最近ずっとアラン・ケイの言葉がぐるぐる回る

"The best way to predict the future is to invent it."

未来を予測する確実な方法はそれを発明することだ。

 

どんな未来がきてほしいのか。

 

永遠に生きたい。でも、体は老いる。

であれば、電脳空間で生きればいいじゃないか、というアイデア

中学生の頃に読んだSFの影響か。

 

そう、だからVRにもARにも興味があるのかもしれない。

 

VR/ARに資金が流入するようにする(会社を使って)

VR/ARであったらいいな、を作ってみる

 

あたりか。

 

そのためにできることとしては

・会社は、まぁ、なんとかする。ちょっと考える。

・もうちょっと、ちゃんと体験してみる

・この夏出るというmagic leap買ってみる?

VR系コミュニティ調べてみる?

VR開発系をちょっと調べてみる

・日本はxR遅れがちだから、英語はやっぱりちゃんとやったほうがいい

 

 やっぱxRに関わったほうがいいな、うん。

 

ちょっとだけスッキリしてきた。あーでも、これで終わったらこれで終わりそうだな。

明日また考える。

歌の表現力

昨日、「音楽チャンプ」という番組を見てた。

 

未発掘の歌が上手い子を見つけよう的なもので、

アナウンサーが日本全国を飛び回って、歌の上手い人を現地で募集し、カラオケを歌ってもらい、採点で100点だったら決勝(番組)進出。オーディンション数合計で3000人というのが売り。

100点の人は(たったの)8名だったが、100点未満でも審査員特別枠が3枠あり、合計11人が番組に出演。

番組で熱唱して、正確性(機械採点)+表現力(審査員採点)×審査員3人の計400点満点で争うというもの。

 

アナウンサーが現地で集めている際、歌を歌うチャレンジャーは、通行人飛び交う市街地や景勝地や田んぼの前など、ありとあらゆる場所でカラオケを熱唱していた。 

 

そこで歌を歌っている人たちの表現力に驚く。

 

もちろん防音施設などあるはずもないので、さながらアスリートミュージシャンのような環境の中、プロでもない人が熱唱。ヘッドバッドしている人もいた。

大層恥ずかしいはずなのに、惜しげも無く美声を披露し、パフォーマンスをしている。

 

そして、Twitter等で番組告知をしていたらしく、

例えば姫路でロケをしていても大阪から訪ねてきている人もいた。

(大阪は大阪でロケやっているはずなんだけど、まぁ、日程が合わなかったのでしょう)

 

歌を聞いていると、ただただ、すごい。

 

100点になっていなくとも、90点台後半はバンバン出てくる。

素晴らしい歌声。一体、「歌う」という行為に対して、これまでどれほどのエネルギーをかけてきたのだろうか。

 

「これで番組に出て誰かの目に留まったらプロデビュー」という気持ち一つで、ロケ地に足を運び、この歌を歌っているのだなと思うと、バラエティ仕立てのこの番組にも感情移入をしてしまう。

 

 

ところで、広告屋なので間で流れているCMを見ながら「この番組の視聴ターゲットはどこだと説明してスポンサーに売っているのかな」と思って見てしまう。

ポカリ(大塚製薬)やauKDDI)、ファブリーズ(P&G)なんかが出ているのを見ると、

10代+その親、というターゲット像が見て取れる。

 

確かに出演している人は若者が多い。

歌というのはエネルギーが必要なもので、若者のものなのか。

 

閑話休題

 

この番組の決勝は11人出場しているが、6人はほぼほぼカットされている。が、「審査員特別枠」の人はカットされていない。

 

「圧倒的に正確で上手い」ということが証明されている決勝戦に、正確なだけの歌は要らないということなのだろう。採点だって、見た通り「表現力」が3/4を占めている。

 

優勝した子は「審査員特別枠」の高3の女の子。

この子が抜群に上手い。

いや、「上手い」のではなく、抜群に表現力がある。

 

高3なんて、「恥ずかしい」という気持ちがまだまだ大きくて、

テレビに出て、しかも感情をかなり込めて歌を歌うというハードルは相当高いはず。

一体、この子は何を経験して、何を思って、こんなことができるようになったのだろうか。

 

ということを思いながら、AIが進歩した先に必要なものはこういうものかもしれない、と思った。

 

今やなんでもできる時代である一方で、コモディティ化がすごい。

ちょっとしたことは誰でもできる反面、「そんなちょっとしたことやって意味あるの?」と思ってしまうことは多々ある。

 

かといって、難しいことやろうとしても、GoogleとかAppleとかがどうせやってるだろうし、彼らがやろうとしたらとんでもなく追いつけないじゃん、と思ってしまう。(実際はそんなことはないから、スタートアップという役割があって、実行している人たちがいるのだが)

 

シンギュラリティが起こった後の世界、あるいは、シンギュラリティに近づいていく世界において、今の時代の人間が未来を見越してやるべきことは何なのかをたまに考えるのだが、その答えの一旦をこの番組で見たような気がした。

 

人間へと届ける「表現力」とは、言葉にできるが、きっとそれは0と1では表現しにくい、あるいはまだ表現できるやり方が確立されていないもので、人に多大な影響を及ぼす因子なのだなぁと。

 

「表現力」を手に入れたいと思っているわけではないが、人に影響を与えるようなことはしたい。今この瞬間未来に向けて何ができるのだろう。

やはり格ゲーは面白い

先日、Oculus Goを買った。

 

すごい。臨場感。

 

ジェットコースターやった。

 

酔う…

 

ホラーはやる気しない。昔やったことあるけど、本当に怖い。なぜお金払って怖い思いをしなければならないのか。

 

アニメーションを見た。

 

うん、ほんわか。

 

AVを見た。

 

これは、、やばい、、、、

 

 

一番感動したのはDMMでした。

 

 

そして、PS4で格ゲーに戻る。

 

やっぱ格ゲーめっちゃおもろいやんけ。

 

今やっているのはギルティギアシリーズの最新作。

GGXrd Rev2(ギルティギアイグサード レベ2)

 

このシリーズは僕が初めて格ゲーをゲーセンでやったシリーズだ。

あれは中学生の終わりころ。

 

それまでは格ゲーは、遅い、大雑把、必殺技出ない、やりこむ人が居ない、

というイメージだった。

 

ところがどっこい、始めて友達に連れられてゲーセンで触ったGGXXギルティギアイグゼクス)は違った。

早い、動きが細かい、絵が細かい、キャラがかわいい格好いい、必殺技ド派手、めっちゃやってる人いる(そりゃゲーセンだし

 

こりゃすごい。

しかもケチを極めている僕にやさしい1play50円仕様。

 

素晴らしい。

 

一瞬にして魅せられた、とまではいかないが、めちゃくちゃ興味を持った。

 

そして友達と切磋琢磨する様子が非常に気に入った。ええやんけ。

これがアミューズメント部への入部のきっかけであった。(非公認部活)

 

そんなこんなでかれこれ15年くらいの付き合いですよ。

 

未だに面白いと思う理由は何か、簡単に整理した

 

 

・キャラクタが魅力的であること

まぁ、これは言わずもがな。

逆に魅力的でないゲームがあったら教えて欲しいくらい(いや、いらない

 

 

・きちんと練習すると、気持ちのいいコンボができること

コンボとは練習するものである。

ある程度「型」が決まっていて、「型」の練習さえすればコンボはできる。

それがむちゃくちゃ気持ちいい。

「普通できひんやろこんなん」というのをやるのが気持ちいい。

いや、ある程度やっている人にとっては、できて「普通」なんだけど。

 

気持ちいいだけではなく、その「型」から離れたときもまた気持ちがよい。

あ、この状況は「型」のこの部分を変えた方がダメージがでる、状況がいい、といった判断で変える。

状況に応じて「型」を守り、破り、離れる。

そう、格ゲーには「型」がある故に守破離がきちんとしているのだ。

 

 

・きちんと相手の対応を瞬間瞬間見て、相手の思考を読み取る必要があること

いうなれば1ラウンド99秒×2ラウンド先取の間、ずっと気を張る必要がある。相手の動き一つとって、そこから相手が何をしようとしているのかを複数読み取り、そこから確率の高い作業を一瞬で選択し、それに応じた対応を取る。

もちろん、当たったり外れたりする。

しかし、シンクロ状態になると、むちゃくちゃあてられる。それがまた気持ちがいい。

しかも、気を抜いてテキトーに対応すると簡単に負けてしまうのだ。

そりゃそうだろう。相手が真剣に考えているんだから。

 

 

・相手が「人」であること

そう、つまりは相手が「人」であり、「その人」の思考を読み取り、それに対する対応策を取り、最も効果的な「型」をぶつける。

そして僕が好きなのは「読み取る」ことではなく「誘導する」ことである。

「対戦相手はこういう思考をしているだろう」と安易に思わせるような行動をとりつつ、大事なところではその裏をかく。これが決まった時は気持ちがいい。

 

まとめると、相手の思考を読み取り、誘導し、効果的な「型」をお見舞いする、それが格ゲーなのである。

 

ほら、VRジェットコースターより面白そうでしょ?(ジェットコースター酔うし

 

やりたくなったら、ぜひギルティをやって欲しい。優しく指導してあげる。

 

まぁ、同じ理由でボードゲームは好きなので、そちらでも可。

政治と宗教とスポーツ

飲み屋で語ってはいけないものは、政治と宗教とスポーツ(野球)らしい。

勝ち負けがなく、誰もが正しいからだろう。

 

なんだけど、飲み屋のようなSNS(特にTwitter)で、政治の話はむしろ積極的に話されている。

それがどうにも気持ち悪い。

 

いや、別に議論してもらって構わないし思ったことは言ってもらって構わないし、好きに便所の落書きを垂れ流してもらって構わないのだが、

右だの左だのの人たちが、自分たちの主張は一切曲げず、気に入らない人たちの意見はブロックし、同じ穴のムジナたちの言葉をイイネしてリツイートし、

一体全体、君たちはなんのために発信して何をしようとしているのか。

 

やるなら建設的に議論すればいいのに、「はい、論破」と言いたいだけの全く論破にもなっていない言いがかりの目白押し。フラットに判断すればいいのに。

 

なんてことを、Twitterを覗くたびに思ってうんざりしてしまう。

あー、またしょうもないものを見てしまった、そう思って、そしてまた後でついつい見てしまって、ついついうんざりしてしまう。

 

建設的な議論したりするのかな、って期待してしまうんだ。

 

批判の的になっていた人のhomeに行くと性懲りも無く、同じような意見をリツイートして悦に浸っている。

 

飲み屋の方がもうちょっとええわ。。

 

具体的に言うと「アベ」とカタカナで言う人たちも、日本国旗をアイコンに掲げている人たちも、なんであんなに熱心になれるのでしょう。

 

普通だと思っていた人が、異常の塊だということが知れるのは新しい発見です。

 

 

まぁ、どうでもいいや。

 

 

と、ここでふと思った。

もしかしてこの3つがタブーというのは日本特有の話?

 

政治は、日本よりは活発に議論しているイメージがある

宗教は特定宗教派閥が多いので、タブーになるような現場はあまりないだろう。

スポーツは・・・ダメそうだな。熱狂的な人が多そうだ。

 

やはり日本特有な気がする。ググったが期限はわからなかった。

地震雷火事親父みたいなもんだろうか。

 

まぁ、どうでもいいや。

 

Oculus GOでポーカーでもすっかな。

Oculus Go を買った

ついに買ってしまった、スタンドアローンVR

 

色々書こうと思ったことはあったりしたんだけど、全部吹っ飛んだ。VR買った。これを言いたかった。

 

VRに本格的に出会ったのは3年前か。VR元年の1年前。もちろんVR自体は前から知っていたし、どういう技術を使っているか、ということも聞いていた。ただ、実体験はなかった。

 

そんな時にGear VRを体験して驚いた。あらまぁ、こんなに没入感あるのね。

 

そのあと、Fove, Oculus Rift, HTC Vive, Playstation VRと色々と体験をした。(そういや最近Fove聞かないな)

 

やはりぶっちぎりすごかったのはHTC Viveだ。Room scale VRを標榜するだけあって、仮想世界内で「動ける」体験は感動した。

 

そんなこんなで会社の関係で色々とあって話を聞いたり体験をしたり借りたりはしたものの、所有はしていなかった。

 

一緒にやっていた先輩は、続々とVR機器を購入しており、あぁ、僕はイノベーターにはなれないんだなぁと思ったものである。別になりたいわけじゃないが。

ちなみにその先輩はレーザーカッターも買っていた。やばい。やばいと思っている僕はやはりアーリーアダプター止まりだ。

 

閑話休題

 

2年弱前にPS4を買った。ゲーム機を買おうと思った時の選択肢は、wii U(当時はswitch発売前だ)を買ってsplatoonをやるか、PS4を買ってギルティギアをやるか。

 

悩んだ末に出した結論はPS4。その理由は「PS VRをそのうち買うつもりだから」。

そんなこと言ってるうちにPS VRを買わずに日々を過ごし、いつになったら俺はVRを買うんだろうと思っていた(思うなら買えよ、というツッコミは無しだ)

 

そんな時に、Vtuberがやたら騒がれるようになり、いつの間にかXVIという会社の社長をしているGOROmanさんをtwitterでフォローしていた。

 

XVIという会社はSHOROOMで配信しているVtuber「東雲めぐ」の配信技術であるAnicastを提供している会社で、その技術を使うと、役者の動きを簡単にアニメチックに3Dモデルである「東雲めぐ」に反映することができ、あたかも本当に存在するかのようなLive配信が可能となるものだ。

 

そんなGOROmanさんはもう、ずっとVRのことを話している。

と思っていると、いつの間にか、自分のフォローなのかGOROmanさんのリツイートなのか、それ以外の何かなのか、とにかくタイムラインがOculus Goの話題だらけである。もはや「Oculus Goを持ってない人は人に非ず」と言わんばかりの(むしろGOROmanさんは言っていたかもしれない)

 

人間は影響される生き物で、どうせ買うなら流行りのスタンドアローン型であるOculus Goを買うべきではないかと思ってきてしまう。

ということで、いつかエントリーを書いたように、PS VRにすべきかOculus Goにすべきか、ずっと頭の中をぐるぐるしていたのだ。

 

そのぐるぐるジェットコースターがついに終着駅を迎え、えいやっとOculus Goを買ってしまったのである。

 

英語の勉強しなきゃいけなかったはずだが、ひとまずはOculus Goを楽しんでおく。ギルティギアはお休みだ。

 

このエントリーにオチも何もない。ただ買ったと言いたかっただけである。冒頭2行で内容はまとまっており、あとは蛇足に過ぎない。

 

次回あたりに「Oculus Goすげかったぜぇぇぇ」というエントリーを書きたいものだが、ケチで貧乏性な自分はばんばんアプリを買うことはしないと思うので、またきっと何回か後に。