世界から言語がなくなる日

最近は、音声翻訳もできる便利な時代になった。

 

skypeでの同時通訳ができるなんていう話があったり、

google翻訳で当たり前に音声認識+翻訳ができたり、

日本でいうとログバーという会社がオフライン翻訳も対応できる端末「ili」を出していたり、

UDトークというアプリでリアルタイムで英語翻訳してくれていたり。

 

本当の意味での翻訳、つまり意訳が実現するのはまだまだ先だと考えられているが、

直接的な翻訳程度であれば、思いのほか早く進歩しているようだ。

 

海外に行った時やインバウンドで対応する際の大きな課題はやはり言葉。

何を言っているかわからないことは恐怖である。

 

それが払拭されていこうとしているのである。大変喜ばしいことである。

 

そして、そんな世界がどんどんと進行していった結果、

言語というのは意味をなさなくなるだろう。

 

ふと、思った。

 

その時、人々が話す言語はいったいなんなのだろうか?

 

例えば英語だろうか?

 

一番ありえそうなシナリオである。

今は地球史的にいうとアメリカ時代と言っても差し支えがないくらいにアメリカの力は強く、地球で最も話されている言葉といえば英語だろう。

 

いやいや、やはり人工的に圧倒的な量を持つ中国語ですよ。

そんな話もあるかもしれない。

 

そこで考えてみたい。

意訳ができる手前の世界。意訳はできないが、翻訳であれば、ある程度の言語はかなりスムーズに翻訳できるようになった世界。

 

例えば全ての言語を英語に翻訳する世界になったとしよう。

そのときに何が起こるか。

 

英語ネイティブの人は全く何を考えるわけでもなく、自国の言葉を喋り続けるので、最もスラングが多く、最も機械を慮らない状態になるだろう。

 

そのとき、

  1. 日本語ネイティブと英語ネイティブが英語で喋るとき
  2. 日本語ネイティブと中国語ネイティブが英語で喋り合うとき

どちらが会話しやすいだろうか。

想像するに、それは後者だろう。

 

このとき、逆に英語ネイティブであることが非アドバンテージになりうる。

 

これは英語に翻訳するときに限らず、ネイティブが存在する言語に翻訳する限り起こり続ける問題だ。

 

ということは最終的にどうなるか。

 

「誰のものでもない言語」に翻訳して会話することが当たり前になるのではないだろうか。

 

かつて、1800年代後半にザメンホフによって作られた人工言語エスペラント」というものがある。

エスペラント - Wikipedia

 

これはヨーロッパ系の言語を元にして人工的に作られた言語で、発音や文法に規則性がある。普遍語として広めていくべく活動していき、最も成功した人工言語の1つではあるが、残念ながらその理想には至っていない。

 

しかし、上記の通り、自動翻訳が進んでいった世界では、中継言語の存在が均質なコミュニケーションの実現には重要であると想定される。

 

かつてザメンホフが理想としていた人類共通言語としての人工言語は、機械化が進んでいき言語の垣根が取り払われていった先に、奇しくも機械専用の言語として存在する未来があるのかもしれない。

 

そんなことを思いました。