GWの旅行で思ったことをまとめるだけの回

繰り返しになるが、GWに新潟に旅行に行った。

 

まずは行ったところの簡単なまとめ

 

■温泉

栃尾又温泉

先日書いたラドン温泉です

 

・松之山温泉

日本三大薬湯の1つ。残りは有馬と草津

1kgの温泉をカラカラに乾かして残った成分のうち、

温泉として認められている成分の総量が1000mg以上あると温泉と呼ばれるのだが、

その成分が3番目に多い温泉ということで三大薬湯の1つである。

その数15,000−20,000mg。

 

・越後湯沢の温泉

無色透明の単純温泉です。

 

■景観

・星峠の棚田

段々畑の田んぼverが棚田です。綺麗でした

 

・美人林

ブナ林。白くて細い木が多かったです。

白くて細いから美人なのだろうか。

 

・アルプの里

春の雪まつりやっててチューブ滑りしました。

雨降ってて鬼寒くて早々に退散。

 

■施設

・南魚沼の道の駅

大きなしいたけ「てんけいこ」を食べたかったのですが、

希少なのでネット通販しかしていませんでした。なんでやねん。

八色しいたけ、という大きなキノコを買って満足。

 

越後湯沢駅

食べ物屋さんお土産やさん含め、かなりレベルが高かった。

これまで経験した田舎の駅では1番の出来。素晴らしい。

「ぽんしゅ館」という施設が中にあるのだが、

そこに、おちょこ一杯ずつ自動販売機を使って利き酒が飲める場所があります。
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/naoya-maikawa/16-00381

これがよかった。

500円でコインを5枚もらえて、だいたい1コインでおちょこ1杯。

物によっては2枚や3枚かかるがほぼ1枚。

 

アルコール度数が高くて種類が多い割に味も似ていて違いがわかりにくい日本酒というものを、

観光地ど真ん中の駅の中で、手軽に利き酒できるという制度を考えた人間と、それを実行した人は素晴らしい。よく酒造を口説けた。

酒造側も新潟ブランドに頼ってしかいなかったところから、

商品名・酒造名で選んでもらえるためにこの機会は活用できる。

三方よしの秀作である。

 

 

さて、感じたことをまとめる。

 

●越後湯沢はオシャレで活気がある

温泉地にはよく行く。

ただ、大抵の温泉地は、寂れているか、活気はあっても昔ながらな雰囲気か、大江戸温泉的なところにやられているか、そんな感じだ。

しかし、越後湯沢は、上記のようにそもそも駅が気合い入っているし、周辺施設も改装したのか小洒落た感じを出していたり、まさしく建築中の場所があったりする。

 

この違いは何なのか。

理由は3つあると考える。

①東京から近い

新幹線で1時間ちょっと。早い、近い。アクセスが良い。これはある。

 

②温泉だけで食ってない

越後湯沢はスキーが盛んだ。冬はスキー/スノボの客が訪れ、温泉に入る。温泉はメインでありサブなのだ。温泉だけでは人は来ない。

 

③新潟の玄関口である

①とも若干被るのだが、新潟市日本海側にあるため、越後湯沢は「新潟に行く」という人が通過しやすい地点である。

ということはそこに名物があれば必然、立ち寄りやすいのだ。

 

アクセスが良い、玄関口、複数のポートフォリオを持っている、ということで、

人が来やすい寄りやすいターゲット層が広い、なのでお金が回っているのではなかろうか

 

●温泉水はビジネスチャンスがありそう

①温泉珈琲
エキナカにふと見ると「んまや」という文字が。

 

 

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大学に「んま」っていうあだ名の奴がいたなぁと思っていると、ここで温泉珈琲を見つけた。

越後湯沢周辺でとれる温泉水を活用した珈琲で、こんな感じで売り出していた。

 

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一杯で550円くらいと高めだが飲んでみたところ、かなり滑らかな味わい。なるほど、あるかもしれない。

越後湯沢の温泉は塩化物泉系統の単純温泉なので、無味無臭で使いやすそう。


神水
上記「ぽんしゅ館」で利き酒ができるところでチェイサーとして、「んまや」でも使っていたという温泉水「神水」が提供されていた。しかもウォーターサーバーで。

やられた。リアルに温泉水サーバはビジネスチャンスがあると2ヶ月前くらいに思いついてワクワクしていたというのにもうあるなんて(リサーチ不足


これではなかったが、温泉水サーバは実際に展開している様子。
http://www.y-mk.co.jp/?page_id=54

 

温泉珈琲なんかは越後湯沢の温泉が無味無臭だからこそ使える使い方の一つ。

逆にいうと、松之山温泉のような無味無臭じゃないからこそいい使い方はある。例えば温泉卵を硫酸塩泉で作ると、良い感じに味が移って美味しい。

 

温泉によって得られる効果を使い分けて提案できれば、「温泉」という大きなくくりから脱却できるんじゃないか、酒造がブランドを押そうとするように、「温泉」よりも細かい分類でブランディングできるんじゃないか、そんなことを思った。

 

●ニアショアの可能性

越後湯沢には新幹線で行ったのだが、すでに記載の通り東京駅から1時間ちょっと。

近いなぁ、と思っていたら、エキナカにこんなポスターが。

 

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「新しい働き方」の名の下に新幹線通勤を推しているじゃありませんか。。

確かに新幹線通勤のお金出るなら2年くらい住んでみたい。

 

最近はYahoo!が新幹線通勤を認めたとかなんとか聞いたことあるが、

都心で働き都心の給料を得て都心の仕事をしながら地方に住む。

これが実現できたらすごい。埼玉に住んでいる場合じゃない。(住んでないけど)

 

新幹線は東京オリンピックの時に始まった、旧世代のテクノロジーの1つではあるが、日々改良されていて、今でも先端をゆく日本を代表するテクノロジーの1つ。

その割には旅行や出張といった利用がメインであり、50年以上経った今ですら日常の乗り物にはなっていない。これを民主化すると、地方も含めてもっと活性化できるのではないだろうか。そんなことを思った。

 

ということで、ただただ思ったことをだらだらとまとめた。忘れないうちにまとめられてよかった。

もうちょっと思ったことはあったような気もするけど、今回はこんなところで。

栃尾又温泉

に、います。スマホで書いています。

ゴールデンウィークの旅行としてきたのは新潟県内は栃尾又温泉の自在館

http://www.jizaikan.jp/

ところで私は温泉ソムリエの資格をとっている。温泉で何かビジネスをしたいなと思ったことがきっかけだ。

セミナーを受けるだけで認定証をもらえる。オススメだ。

そのあたりの細かいことはまた今度に譲るとして、栃尾又温泉の話だ。

栃尾又温泉は日本でもそう多くない療養泉のうちの一つ「放射能泉」である。

放射能泉の定義は含有するラドンの量が8.25マッヘ以上あれば名乗れるのだが、この栃尾又温泉では、32-50マッヘも存在している。つまり規定量の4-6倍もの量があるのだ。すごい。

しかし、放射能泉という単語を見ると、東日本大震災の影響も相まって「それって本当に健康にいいの?」と思ってしまっているだろう。だが、安心して欲しい。ラドンは大丈夫なのだ。

放射能泉の効能が発揮される仕組みは簡単に言うと、人間が日頃吸収しない成分を体内に取り込んで免疫力を活性化させ、自然治癒能力を上げる、というものだ。

放射能は普段ほとんど摂取することはないので、無論抜群の効果がある。

でも、万が一体内にラドンが滞留してしまったら、被爆し続けて危ないんじゃないの?と思っているアナタ、それも大丈夫です。

ラドン半減期は3.8235日。かなり短い。あっという間に崩壊してしまうので、あっという間に消えてしまうのだ。ちなみにラジウムは1600年だったりする。

ということで、安心して入って欲しい。

ただ、ホントにホントに大丈夫なの?というところを突き詰め続けると、よくわからない場所というのは出てきてしまうのは間違いない。まぁそんなこと言ったら全部そうなんだけどね。疑問をもって調べた人がたくさんいる中で国が認める療養泉に選ばれている(し、それは日本だけではなく、世界的に認められている)ので大丈夫でしょう。

温泉や健康療法で重要なのは信じることなのです。

というわけで入りました栃尾又温泉。

これがぬるい。

それもそのはず、ラドンは気体として存在しているため、湯温が高ければ揮発してしまう。

含有量を多い温泉は畢竟、ぬるいのだ。

これはラドンに限らず炭酸水素塩泉等の気体が溶け込んでいることを謳っている温泉すべてに言えるので注意だ。気体の含有量が多い温泉が加温されていたら、身体に浸かる頃には成分は抜けてしまっているのだ!

そんなぬるいラドン温泉に浸かったらどうなるか。

気持ちよかった。

まぁ温泉は気持ちのよいものだから、現代にわたり生き残り続けているのだね。そりゃそうだ。

言いたいことだいたい言ったので今回はこの辺で。

『Hot Pepperミラクル・ストーリー―リクルート式「楽しい事業」のつくり方』を読んだ

表題のままだが、『Hot Pepperミラクル・ストーリー―リクルート式「楽しい事業」のつくり方』を読んだ。

https://www.amazon.co.jp/dp/4492501835

 

2001年に創刊し瞬く間に浸透したホットペッパーの事業成長物語を綴った本である。

 

大変読みやすく素晴らしい。大学時代のサークルの後輩に送りつけたいくらいである。

事業を作ることに燃え、考え、設計し、ともに働く人が燃える。そんな話であった。

 

リクルートといえば営業の会社で、キツイどぶ板営業の代名詞がホットペッパーだ。(少なくとも僕の中では)

そのホットペッパーの見事な戦略と、著者のいう「企画坊や」では終わらないための、地に足の着いたノウハウがぎっしりと詰まった本であった。

 

何故ホットペッパーの事業が成長したか。

「構想力」と「メンバーの成長の促進」、この2つだと感じた。

 

ホットペッパーには前身となる事業があった。その名は「サンロクマル」。

その街の情報を360度全て載せた情報誌となることを目指した事業で各地域に裁量を任せていたが、

ターゲットはぼやけ、ノルマは厳しく、継続受注ができず、掲載料金の値引きが横行し、

怪しげなエステの広告ばかりが並ぶ赤字事業となってしまっていた。

 

ホットペッパー事業を考案した著者はこの事業の立て直しを引受け、

唯一黒字事業であった札幌版サンロクマルをベンチマークとして全国の規格を統一し、クライアントを飲食店に絞り、ノルマの意味を理解させ、値引きを禁止し、

見事にリクルートの主要事業へと成長させることができた。

 

この事業を数字に落とし込んだものが「構想力」だ。

著者は本の中でこのように言う

新版の場合は「見えないものを見に行くチカラ」が必要となる。それは構想力だ。(中略)

それは机上の空論ではなく、見たこともない、経験したこともないことをあるかのごとく描き出す力だ。それはたとえば新規の一つのお店を掲載に持ち込むための訪問内容と訪問回数の設計、初回単発掲載に終わらず3か月(3回)連続掲載を実現する方法。無料から有料掲載を実現する「ゼロ・半額・正価3号連続キャンペーン価格」という価格戦略の実現など、営業マンの営業行動の細部にわたるシミュレーションなど、こうすればきっと成功すると信じられる、バーチャルではあるがリアルな新版立ち上げモデルを描き出すことだった。やってみないとわからないものを、あたかもやってみたかのように描き出す構想力が必要だった。

 

さらにサンロクマルに関しては次のように言う。

『サンロクマル』には(中略)事業の目的がなかった。(中略)

なぜその件数が経営的に必要なのか?なぜその件数が読者に必要なのか?その件数を満たしたとき、読者はどんな行動を起こし、お店ではどんなことが起こり、街では何が起こるのか?これらのイメージが構成メンバーに伝えられていなかったのだ。

 

ここで注目すべきは数字の持つ意味をとことんまで落とし込んでいき、最終的に街に起こることまでをイメージする/ させることだ。

 

事業計画を立てたり、シミュレーションを行うときに、実際に数値を入れ込んで作る。

その時に、どこまで想像しているだろうか。

せいぜいが「この数字を達成できなければ競合に断然負けてしまっているため、取らなければならない」という相対化や

「これまでがこの数字を達成しているのだから、それ以上に成長するのだ」という過去実績ベースでの判断、

あるいは「この数字を入れるほどの成長を我々は目指すのだ」という根拠のない意志だったりするだろう。

 

この数字を達成したときに、会社はクライアントはユーザーはメンバーはどうなっているのか、逆説的にそれを達成するために必然的に帰結するものが数値である。

その落とし込みが「構想力」だ。

 

そしてホットペッパー事業で需要なものは「メンバーの成長の促進」だ。

こう書くとまるでイケイケベンチャーのスローガンのようだが、そうではない。

事業としてきちんと成長するためには論理的に必要不可欠な要素だったのだ。

 

ホットペッパーは物理的に離れ離れとなる47都道府県で展開するため、各地方で陣頭指揮を執る「版元長」を、いかに遠隔でマネジメントし、いかに中央が考えていることを忠実に実現させるかが重要である。

そしてかつ、彼らを中央の命令を実現するマシーンとするのではなく、命のともった人として扱い、ゆえにモチベーションを刺激し、成長させ、それによって各版元長が陣頭指揮をとるその地域の事業も成長させていくことが肝要であった。

 

一番最初の版元長会議で著者はこう言う。

「最初は中央集権でやる。やれと言ったら絶対にやれ。でも、やれと言われているからやれと言われたとおりにやるだけのバカになるな。言っておくが、会社とはそんな馬鹿を一生懸命量産する仕組みを考えているものだ。」

「なぜやれと言われるのかを考えながらやれ、やれと言われる背景にあるものは何か?を考えながらやり切れ。そうすればその構造がわかってくる。そして、やがて自分でその構造そのものを創れるようになれ」

 

「会社とはそんな馬鹿を一生懸命量産する仕組みを考えている」という発言がしびれる。

自分は都合よく量産されていないか?一度問うてみるべきだ。

 

また、求めるのは版元長だけではない。各地方の構成メンバーにも成長を求めた。

ホットペッパー』は営業の分業化を絶対にしなかった。(中略)

一人屋台方式が効率を上げる。自分の仕事がダイレクトに顧客の満足という成果につながる仕組みを壊してはならない。社内の効率性からではなく顧客との関係性から営業の仕組みは考えられなければならない。そして、人件費コストの面からではなく働く人のモチベーションの観点から営業の仕組みは考えられなければならない。仕事には複雑性があるから面白い。「自分で考え、決め、行動する」要素が仕事には必要だ。その要素を組み込んだ業務設計がマネジメントの責任だ。

 

「仕事には複雑性があるから面白い」とは至言である。

単純であれば作業となり、やる気をなくす。複雑であるから工夫とやりがいを感じる。仕組化というと「誰でもできるようにする」ということを目指しがちだが、そうではない。

求めるべきは、「誰でもやりがいを感じられる」ための仕組であるべきだったのだ。

 

働き方改革が叫ばれる昨今、業務効率化という名の下に複雑性を排除していないだろうか?仕事の面白さが損なわれると工夫が損なわれ、個人の成長が損なわれ、事業の成長が損なわれる。

 

ホットペッパーが成し得たことは、事業の目的を定め、地方に散らばる人材がそれらをかみしめてやりたいと思えるようにしていく過程を踏み、それを実現するための具体的手段として、一日20件の新規訪問という厳しいノルマを課した。

目的を理解すると「ノルマ」は目的ではなく手段となる。手段となるのであれば、人は忍耐をもって対応することができる。非常に簡単な事実ではあるが、世の企業で数字の意味を理解させるということを徹底することができている企業はどれだけいようか。それができたからこそ、意志を持ち、スキルを磨き、想いをもって活動し、個人が成長し、事業が成長した。見事なマネジメントである。

 

総じて、事業はアイデアで作るものではなく、人の気持ちが創るものであるという哲学が見え隠れする。

トップダウンで意思決定して一丸となる必要がありながら、意志を持ち工夫をこらすメンバーが必要で、現場で出てきた知恵は即座にボトムアップできる環境をつくり、そしてそれをノウハウ化してトップダウンで浸透させる。

 

ライフワークバランスが叫ばれる昨今からいうと、かなり旧時代的な印象をもつ部分も多々あるが、そこに隠れている哲学は決して無視をしてはならないと感じた。

 

この"アツい"事業創造の物語は、効率化が叫ばれる今だからこそ、中堅で会社に慣れてきた今だからこそ、読んでよかったと感じたのかもしれない。

『神のみぞ知るセカイ』が面白すぎた話

自慢じゃないが、ゲームアプリや漫画アプリを入れては「人生を消耗している」と感じては消している。

しかし最近ロングランしているのは「マンガワン」。入れてから半年くらいだが、まだ消してない。

 

毎日一定のライフ(4×2)を手に入れて、それを消化して1話ずつ読めるというよくある形式。小学館が運営しているので、マギの外伝や、裏サンデーの漫画や、古き良き小学館の漫画(手塚治虫とかめぞん一刻とか)が載っていて、面白い。

 

中でも「モブサイコ100」や「出会って5秒でバトル」といったネット漫画発のものは、流石に面白いなぁーという形で読んでいたのだが、まぁ、読み進めていたらなくなるもので、読むものがなくなってしまった。

 

そこで、「神のみぞ知るセカイ」を読んだのだが、めちゃくちゃよかった。

https://www.amazon.co.jp/dp/4091214304

 

サンデーで連載されていてすでに完結している作品で、もともと連載中の頃から知ってはいた。デスノートのような「主人公が超万能」型の作品で、でもいやらしさがなく面白い、という前評判は聞いたことがあったので気になっていた。

 

実は「マンガワン」をダウンロードしてすぐに、「神のみぞ知るセカイ」があることに気づいて、「神のみがあるなんて…」とマンガワンで読める作品のレベルに感動し、一度読んだのだが、Boys be...やTOLOVEるのような、少年誌にありがちなただのラブコメだと感じて数話でやめてしまっていた

 

が、読みたいものは大方なくなってきて、でもアプリを消す気も起きてなくて(読んでる途中のものもあって気になっているから)、でも一日に与えられる4ライフ×2がもったいなくて、まぁ、もうちょっと読んでみるか、という気持ちでまた読み始めた。

 

読み始めてよかった。自分的にスマッシュヒットとなった。

 

簡単なあらすじは以下( Wikipediaより)

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舞島学園高校に通う桂木桂馬恋愛シミュレーションゲーム、いわゆる「ギャルゲー」が好きな高校生。その腕前から「落とし神」と呼ばれる彼は、ギャルゲーの登場人物である2Dの女をこよなく愛している。

そんなある日、桂馬の元に「攻略してほしい女がいる」というメールが届く。「無理なら絶対に返信しないように」という挑発的な文面に憤慨し何も考えずに返事をした途端、彼の目の前に空から1人の少女が舞い降りる。少女の名はエルシィ。地獄からはるばるやってきた悪魔だという彼女は、桂馬に「駆け魂」の捕獲を依頼する。その方法は、取り憑かれた人間を恋に落とし心のスキマを埋めること。現実の女性とは関わり合いを持ちたくない桂馬は当然断るが、先のメールに返事をしたことで悪魔との契約が成立していること、契約は解除はできず、自分とエルシィの命がかかっていることを知ると渋々承諾する。

こうして、ギャルゲー界の「落とし神」桂木桂馬の3D女性攻略が始まった。

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見ての通り、典型的なラブコメ展開が予想される。その通りだ。

 

前述の通り、途中までは、あ、そう、ふーん、と言う感じなのだが、だんだんと作者の絵のレベルがアップして登場人物も皆可愛くなっていき、それとともにセリフやマンガの表現力もアップして行く。

 

台詞の言い回しだけでなく、絵の表現だけでキャラクタの心情をうまく伝えていたり、マンガでは伝え難いもの(例えば小説の面白さ)を表現したりと、唸らせられる表現と、キャラクタの魅力でグイグイと引き込まれていった。さすが作者は京大文学部哲学科を卒業しているだけある。なるほどそうきたか、と言う細かい配慮や伏線が散りばめられている。

 

ぜひ読んで欲しいので細かく言わないが、途中で泣いた。31歳にして。

泣いた回を次の日にもう一度読んだが、また泣いた。31歳なのに。

その回を想起させる表現が後に出てきたら、泣きそうになった。31歳。

 

普段泣くことなんて滅多にないし、小説ならまだしもマンガで泣くなんて滅多にないのに、高校生の恋のお話なのに、苦しくて切なくて泣いてしまった。31歳。

 

マンガワンで、タダで読めるから読んで欲しい。

200話手前で泣いたので、そこまでぜひ読んで欲しい。

泣かなくてもいいから、普通に漫画としての表現が素晴らしいので読んでみて欲しい。

 

31歳でした。

未来はそこにある

「AR」「VR」それはなんと甘美な響きであろう。

現実が空想になる。空想が現実になる。

昔読んだライトノベルにそういう話がよく出てきていた。

なんて魅惑的な状態なんだ。もう空想する必要はない。やればいいんだ。

明晰夢なぞ見る練習をしなくとも、ヘッドマウントディスプレイを被ればいいのだ。

 

2016年はVR元年と呼ばれた年であった。

Oculus Rift が、HTC Viveが、Playstation VRが出た。

Oculus RiftPlaystation VRは基本的には定点カメラで、そこで撮影した映像が360度回してみれる。現実の自分がどれだけ動いても首しか反映されない。首だけ動く没入だ。(もちろんコントローラーを持っていれば腕も同期するが)

 

一方、HTC viveはルームスケールVRと呼ばれていて、現実の自分が動くと仮想空間内の自分も動く。部屋の中は完全に同期できる。

 

そんな代表的なVR機器が出て2年が経過した。

今、何が起きているか。

 

Youtuberならぬ、3DキャラクタがYoutuberを行う、Vtuber(Virtual Youtuber)が出てきて、VR chatが流行り、そして、おっさんが美少女になったのである。

 

ちょっと何言っているかわからないかもしれないが、文字通り、おっさんが美少女になったのだ、VR空間で。

VR chatというのが今かなり流行っているらしい。もちろんVR空間での音声チャットなのだが、そこでは各々が自由なアバターを選べる。もちろん現実の性別とは関係なしに。

美少女がいたら、もちろん美少女を選ぶだろう。だって人間だもの。

ということで、これを見てほしい。

www.youtube.com

 

たまに聞いたことがあるかもしれない、あの「のじゃロリ狐娘」なのです。

 

こんな感じでおっさんが美少女になるのだ。でも、見たらわかる通り、声はおっさん。そこでどうするか。頑張って裏声を出す。

 

なんという素晴らしい世界なんでしょうか。

おっさんが美少女になりきり、美少女同士のおっさんが裏声でチャットに興じる。

なんという優しい世界なんでしょうか。

 

ボイスチェンジャーも使ったりすると、もはやわからない。

いや、わかる必要がない。だってそこが現実なのだから。

 

Oculus RiftやHTC Viveを買い揃えようとしたら、高性能スペックPCを買うところまで入れると20万円ほどかかるし、Playstation VRも本体込みで7−8万円くらい。

 

まだまだ、より多くのおっさんが美少女化する世界には遠いなぁ、と思っていたら、

これである

パペ文字 | 株式会社 ViRD

 

iPhone Xで美少女になれてしまうのだ。

アプリを落とすだけ。なんて簡単なんだ。

 

もっと未来だろうと思っていた、夢のような世界は、実はもう存在していた。

知っている人と知らない人、やっている人とやっていない人がいるだけだ。

 

こんなことを書きながら、VR機器は持っていない。

ああ、俺もすぐにでも空想世界に飛び立つべきなのかもしれない。ミライは意外とすぐそこだ。未来に生きる勇気のあるものだけが、未来を生きることができるのだ。

 

子供が13歳以上推奨という箇所だけが子供が居る身としては非常に気になるんだな、と言い訳して買ってないのだが、まずはPS VRから買うべきなのかな、、、

 

※参考

今、アツい!バーチャルYouTuberって何者?!人気VTuber四天王も紹介 - INFLUENCER LAB(インフルエンサーラボ)

おっさんでも美少女に iPhone X向け配信アプリ「パペ文字」登場 - ITmedia NEWS

バーチャル無法地帯『VRChat』の歩き方…今日から遊べるカオスな溜まり場 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

おじさんの心に芽生えた「美少女」 VRがもたらす、もう一つの未来 - withnews(ウィズニュース)

AQUA-Uが気になった

素敵だなと思った商品を紹介するコーナーです。

 

毎回雰囲気が変わっているような気もしますが、気にせずに。

 

今日、何気なくTwitterをみていると、こんな画像が流れてきた

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なんやこれ超素敵やんけ

 

どうやらAQUA-Uという商品らしい

product-fish.gex-fp.co.jp

 

この左側にろ過装置が入っており、下側の排水管を通して右側の水槽に水を送っており、水位を保とうとする物理現象によって右側の水槽の水が左側のろ過装置が入っている水槽に水が移動し、結果循環するというもの

 

原理を聞けば簡単だが、ものを見ると美しい。

 

加藤水槽という個人の方が作っていたものが商品化されたもので、お値段2万円弱。

安いのか高いのかわからん。ということは適正な値段なのか。

 

「素敵」を形にするだけで、商売はできてしまうし、形にしてしまう行動力が大切な時代なんだと再認しました。

なぜ人はインスタ映えを目指すのか

なぜ人は写真を撮るのか。疑問に思ったことはないだろうか。

 

私は特に普段は写真を撮るわけではない。むしろ積極的に撮らない選択をする。

といっても、めちゃくちゃたくさんなわけではないだけで、撮るっちゃ撮るのだが。

 

写真好きな人はたくさんいる。ふと数人の友人を思い浮かべると、デジタル一眼カメラを買うレベルの人は、30%くらいいるのではないだろうか。

 

スマホの普及が拍車をかけている。特に若い子を中心に簡単に写真を撮っている。花を見て、ご飯を見て、果ては駅のホームで自撮り。。

 

インスタ映え」が去年の流行語大賞にノミネートされるようになったほど、「撮る」という行為は、デジタル一眼カメラを買うような人たちの特権ではなく、もはやいつでもどこでも誰でも行うものになってしまったのだ。

 

特に若い子(に限らないが)は、こぞって「インスタ映え」を目指して行動し、SNSにアップする。

 

そこでふと疑問に思った。

写真を撮る行為によって、一体何を充足しているのだろう?

 

最初に思ったのは承認欲求。

写真を撮って、SNSに上げる。コメントをもらえる。お気に入りをもらえる。イイねをもらえる。

 

しかし、いささか弱い。承認欲求しかないのであれば、従来の写真好きに加えて、SNSにはまっている人しか写真を撮る人は増えないはずだ。

インスタ映え」が社会性を帯びるということは、この社会において、「インスタ映え」によって充足されている何かがあるはずなのだ。

 

そこでもう一度考える。スマホで撮っている人は、写真を何で撮っているか。アプリである。もちろん、通常の写真機能で撮っている人もいるが、インスタで、SNOWで、B612で、撮る、盛る、撮る。

 

写真とはもともと現実を切り取る機能であった。

しかしアプリは違う。「盛る」という言葉が出てきたように、映しているのは現実ではなく、理想に近い、現実。もはや虚構である。

 

理不尽が飛び交う現実の中で、一際大きな輝きを放つ、現実のフリをした砂上の楼閣。

 

そこでハタと気がついた。

 

ああ、そうか。

自分が今生きていて、素敵だと思いたい現実が、今ここに本当にあるんだということを信じるための動作として、写真を撮っているんだ。

映画で見たテレビで見た漫画で見た本を読んで思い描いた「あの素晴らしいはずの現実」が、今まさにここにあるということを信じるために、写真を撮っているんだ。

だから、現実風フィクションである加工アプリが受け入れられるんだ。

 

そう考えると合点がいった。

 

若い子が躊躇なく自撮りができるのは「可愛い私」を写真を通じて確認しているから。

写真をアップするかどうかは関係なく、写真を撮るという行為で、フィクションの私を現実の私に顕在化させているのである。

 

理想を現実に呼び出す行為が写真を撮ることだったのである。

 

なるほど。そこに合点がいって以来、写真をよく撮る人への違和感も抵抗感もなくなっていった。あの人は、いま、理想を召喚しているのだなと。

 

そして無論、私もそんな一人なのである。

 

ああ、今日は、桜が綺麗だなぁ。かしゃり。