AQUA-Uが気になった
素敵だなと思った商品を紹介するコーナーです。
毎回雰囲気が変わっているような気もしますが、気にせずに。
今日、何気なくTwitterをみていると、こんな画像が流れてきた
なんやこれ超素敵やんけ
どうやらAQUA-Uという商品らしい
この左側にろ過装置が入っており、下側の排水管を通して右側の水槽に水を送っており、水位を保とうとする物理現象によって右側の水槽の水が左側のろ過装置が入っている水槽に水が移動し、結果循環するというもの
原理を聞けば簡単だが、ものを見ると美しい。
加藤水槽という個人の方が作っていたものが商品化されたもので、お値段2万円弱。
安いのか高いのかわからん。ということは適正な値段なのか。
「素敵」を形にするだけで、商売はできてしまうし、形にしてしまう行動力が大切な時代なんだと再認しました。
なぜ人はインスタ映えを目指すのか
なぜ人は写真を撮るのか。疑問に思ったことはないだろうか。
私は特に普段は写真を撮るわけではない。むしろ積極的に撮らない選択をする。
といっても、めちゃくちゃたくさんなわけではないだけで、撮るっちゃ撮るのだが。
写真好きな人はたくさんいる。ふと数人の友人を思い浮かべると、デジタル一眼カメラを買うレベルの人は、30%くらいいるのではないだろうか。
スマホの普及が拍車をかけている。特に若い子を中心に簡単に写真を撮っている。花を見て、ご飯を見て、果ては駅のホームで自撮り。。
「インスタ映え」が去年の流行語大賞にノミネートされるようになったほど、「撮る」という行為は、デジタル一眼カメラを買うような人たちの特権ではなく、もはやいつでもどこでも誰でも行うものになってしまったのだ。
特に若い子(に限らないが)は、こぞって「インスタ映え」を目指して行動し、SNSにアップする。
そこでふと疑問に思った。
写真を撮る行為によって、一体何を充足しているのだろう?
最初に思ったのは承認欲求。
写真を撮って、SNSに上げる。コメントをもらえる。お気に入りをもらえる。イイねをもらえる。
しかし、いささか弱い。承認欲求しかないのであれば、従来の写真好きに加えて、SNSにはまっている人しか写真を撮る人は増えないはずだ。
「インスタ映え」が社会性を帯びるということは、この社会において、「インスタ映え」によって充足されている何かがあるはずなのだ。
そこでもう一度考える。スマホで撮っている人は、写真を何で撮っているか。アプリである。もちろん、通常の写真機能で撮っている人もいるが、インスタで、SNOWで、B612で、撮る、盛る、撮る。
写真とはもともと現実を切り取る機能であった。
しかしアプリは違う。「盛る」という言葉が出てきたように、映しているのは現実ではなく、理想に近い、現実。もはや虚構である。
理不尽が飛び交う現実の中で、一際大きな輝きを放つ、現実のフリをした砂上の楼閣。
そこでハタと気がついた。
ああ、そうか。
自分が今生きていて、素敵だと思いたい現実が、今ここに本当にあるんだということを信じるための動作として、写真を撮っているんだ。
映画で見たテレビで見た漫画で見た本を読んで思い描いた「あの素晴らしいはずの現実」が、今まさにここにあるということを信じるために、写真を撮っているんだ。
だから、現実風フィクションである加工アプリが受け入れられるんだ。
そう考えると合点がいった。
若い子が躊躇なく自撮りができるのは「可愛い私」を写真を通じて確認しているから。
写真をアップするかどうかは関係なく、写真を撮るという行為で、フィクションの私を現実の私に顕在化させているのである。
理想を現実に呼び出す行為が写真を撮ることだったのである。
なるほど。そこに合点がいって以来、写真をよく撮る人への違和感も抵抗感もなくなっていった。あの人は、いま、理想を召喚しているのだなと。
そして無論、私もそんな一人なのである。
ああ、今日は、桜が綺麗だなぁ。かしゃり。
Xcodeを触ってみた
Xcodeとはappleが提供している開発者向けツールで、要はiOSのアプリやappleWatchのアプリやMacのアプリを作成するプログラミング用のツールである。
大学生の頃は情報系を専攻していたこともあり、バリバリにプログラミングをしていた。(大したものではないが)
考えたものを試行錯誤して形にしていく作業は非常にエキサイティングではあったが、モノに向き合い続けるのは向いていないということに気付き、それを仕事にしたいとは思わず、結局は情報系は全く関係のない、いわゆる文系就職をした。(むろん情報系であることは最大限利用したし現在も利用しているが)
逃げた結果ではなく、選択的に異業種に行った自負があり、この選択が間違っていたと思ったことは一回もないのだが、就職以降は意識的にプログラミングに触ろうとはしなかった。
「アプリで月収100万円!」みたいな話を頻繁に聞いた時も、周りに話すだけで自分ではしようとはしなかったし、一時期アプリを作って見ようと奮闘したこともあったのだが、企画だけして実装は友人に任せており、自分で作ろうとはしなかった。(それがマズかったわけで頓挫したのだけども)
もしかしたら「逃げるように異業種に行った」ということが(逃げてはいないのだが)棘のように刺さっていたのかもしれない。びっくりするくらい触りたがらなかったのだ。
しかし、その呪縛も今回で逃れられたようだ。
動機は副業である。私は副業をしたい。ビジネスを作って回すことに関心がある。
人生100年時代と言われる中で(100年どころではないと思っているがそれはさておき)自分のキャリアパスをどうしようかと考えている中で、LIFE SHIFTで言うところの「インディペンデント・プロデューサー」が自分が選びたい道ではないかと思ってきた。
ただ、うちの会社は副業禁止である。
苦々しく思って過ごしてきたが、働き方改革が叫ばれる昨今、間も無く解禁されるのではないかという噂が立ち込めている。
チャンスである。
逆に、ある種「副業禁止」を言い訳にしてこれたが、ついに言い訳ができなくなった、とも言える。
新しいチャレンジとしてトライしてみたいと思っている領域の一つに「温泉」 がある。何かヒントがないかと求めて、昨年12月に温泉ソムリエの資格を取った。(と言ってもセミナーに出るだけで名乗れる程度のものなのだが)
ここまで条件が揃ってきているのだ。
第一歩を踏み出すべきである。自分の発想はテクノロジー系に寄っている。ならばアプリが簡単だ。誰かに頼んでモチベーションコントロールするのも違う。「なんとなくやりたくない」なんていう呪縛からは逃れるべきである。
ということで、Xcodeを触ってみた。
まずはWebで調べて少しやってみたものの、さっぱりわからん。
ということで、ひとまず入門書を買って触ってみることにする。
https://www.amazon.co.jp/dp/479739417X
practiceの1番のアプリは作るところまではいった。(1分で終われる)
意外と簡単そうだが、まだ序の序なので先もわからない。
果たしてリリースまで漕ぎ着けるのだろうか。
bon voyage 自分!
IFTTTを触ってみた
IFTTTというサービスがある。
IFTTTはかなり前から聞いたことあったし、連携が簡単にできるものである、という認識はあった。IF This Then Thatの略で、Thisを設定すればThatをやってくれると。
で、終わっていた。
自分のよく無いところは概要と動きを理解したところで終わるところである。
面倒くさがり。よく無い。
もともと情報系でプログラミングはしていたし、極める気も得意分野にする気も起きなかったというバックグラウンドをもって、実際にプログラミングをするということからは距離を置くようになっていた。
よく無い。よく無い。
ということで、IFTTT自体は、詳しい人からしたら今更?と思うもの(触ったことないくせに自分も思うだろう)だけど、そんな自分を横に置いて触った。
なるほどこれは便利そう。
ある命令セットをレシピと呼ぶのだが、多くの人が使っているレシピは最初から表示されていて、自分で作るにしてもプログラミングするわけでもなく、ポチポチと選ぶだけで作れてしまう。
既存レシピを眺めていると
「自分の家の上に宇宙ステーションがきたら知らせる」
「Facebookで自分の写真がタグづけされたら写真を保存する」
などなど、使えそうだったり面白そうだったり。
ひとまず家にあるGoogle homeと連携させたいとチャレンジ。
「iPhoneを鳴らして」で鳴らすように設定しようかと思ったら、androidしか対応していない。それはそうか。
とりあえずLINEと連携させて、設定したグループにメッセージを投げれるようにした。
「OK Google, LINEにテストと送って」
「LINEにテストと送りました」
おお。ちょっと未来感。
よーし、他も色々やってみようか、と、他のレシピやググりながら他の人がどんなことをやっていくみていく。
「毎朝6時にデイリーニュースを流す」(アプリでプッシュ通知されるしな)
「Instagramに投稿したらpinterestにpinする」(特にそういうことはしない)
「mtgと入っているメールを受け取ったらgoogleカレンダーに登録する」(細かい時間まで読み込んで自動的に割り当てるまではできなさそう)
便利そうだけど、何か足りない・・・
各々のアプリで既に実現していることを追加でやる意味はあまりなく。
既にあるレシピであまりピンとこず。
もしこうならこうして欲しい、なんて思うことは特になく。
ということで、触った結果、便利だけど不便。
やはりNature Remoを買って、Google homeと連携させるのが本命なのかな。
たまねぎ
昔から人間はたまねぎみたいなものであると思っていた。
自分には何かしら芯があるとと信じて剥いてみる。
剥いても剥いても似たような皮が出てくる。よし、これが芯なのかと思っても芯に似た皮。中心に近づくほどに太くなって芯のような気がするけど、最後まで皮である。
芯などない。
そう思って過ごしていたが、大学で芯がある人々にあった。その人たちと過ごすことで自分にも芯があるような気がした。社会人にでて周りを見渡しても芯のある人はたくさんいると思った。たまねぎは勘違いだったか。
社会人になって数年。
給料もいい。仕事もそれなりに楽しい。友人もいる。家族もいる。
でも、また自分はたまねぎになってしまった。
芯だと思っていたものは、どうやら皮だったしい。
まぁ、別にたまねぎでもいいんだけど、また、芯だと思い込めればいいな。
せめて、芯は無いかと皮を剥き続ける日々ではありたい。
このブログが、その役目を果たすことを期して。